近藤 久壽

有限会社エーワン 元代表取締役

近藤 久壽 有限会社エーワン 元代表取締役

人生を変えた、荒川のグリップの新しさ。

もともと近藤さんは、どんな仕事をされていたのでしょうか?

近藤 ある企業の東京支社に勤めていて、昭和40年代から高層ビル用の天井、壁、床などの資材を大量に扱っていました。その知識を元に、次に何ができるか考えていた時、出合ったのがピクチャーレールです。昭和57年(1982年)、宮城県立美術館を手がけていた前川國男建築設計事務所から新しいピクチャーレールを依頼され、その製造を私がお願いしたのが荒川技研工業でした。それまで日本の美術館では、舞台の緞帳に使うステージレールという対荷重の大きいカーテンレールを転用したピクチャーレールを使っていました。

荒川技研工業とは、どのように知り合ったのですか?

近藤 当時、荒川さんがジャパンショップという展示会に新型のグリップを出品したことを知り、連絡したのが最初です。私も似た仕組みを考えていたんですがどうしてもクリアできず、そのグリップを見てすべてやってもらうことにしました。宮城県立美術館では「FZ-20」という金具を使っています。その後、日本全国に美術館が増えるとともに、荒川さんがOEM製造したグリップが広く使われるようになりました。それまで0だったものが10になり、100になり、1000になり、さらに世界に広がっていった。私たちには、これは売れるという確信がありました。宮城県立美術館の効果がものすごく大きかったんです。

なぜピクチャーレールが広まって行ったのでしょうか?

近藤 それまでは壁に額受金具をつけ、そこに絵画の額吊金具を引っ掛けるのが主流でしたが、壁を汚したくないというのが大きかったですね。それに対して私が提案したピクチャーレールは、天井や壁につけるレールと、ハンガーやアタッチメントをすべてシステムにしたのです。それまでのピクチャーレールのいいところや悪いところを学び、自分で図面を描いて完成させました。ロシアの国立トレチャコフ美術館(1993年納品)はじめ、ニューヨークのメトロポリタン美術館、イギリスの大英博物館、台北の故宮博物館などで荒川さんの金具が使われています。

近藤久壽さんは、自身の経歴とピクチャーレールの展開を手書きで詳細に記録している。
近藤久壽さんは、自身の経歴とピクチャーレールの展開を手書きで詳細に記録している。

荒川技研工業の独自技術として、グリップにワイヤーを差し込むだけで固定できる機構がありますね。

近藤 もともとあったのはループワイヤーで、ループにフックを引っ掛けます。荒川さんが開発したのはワンタッチワイヤーといって、グリップにワイヤーの先を差し込むと固定される。それぞれ特徴があるので、2種類を揃えるメリットがあったんです。このグリップを使ったレールシステムの製品化にあたっては、安全性、作業性、耐久性、デザイン、安価であること、壁を傷つけないことを考慮しました。レールの仕様などについては、高層ビルの天井システムを長年手がけていたことも役立ちました。

近藤さんは、1994年に有限会社エーワンを設立されました。それからはどんな活動をしてきたのですか?

近藤 その前にアメリカに1か月滞在して、いろいろな美術館、博物館、そして建築現場を訪れる機会がありました。そしてまだ世界にレールシステムが見られないと知ったのです。設立後は、それまでの経験を生かしながら、ピクチャーレールに限らずいろいろな勉強をさせてもらいました。建築の進め方も大きく変わってきた時期で、荒川さんと一緒に取り組んだ仕事もたくさんあります。エーワンの納品先には、東京国立博物館平成館、東京現代美術館、国立西洋美術館、上野の森美術館、東京藝術大学などがありました。エーワンで27年間、金物業界には66年間にわたり携わったことになります。

今後のピクチャーレールの可能性について、どう考えますか?

近藤 ワイヤーでものを吊るシステムは、鏡やテレビなど幅広い用途が考えられます。また地震対策として家具の転倒防止にも役立つでしょう。これからは、すでにある建物をどう使うかが大事になってきますが、特に高層マンションが多いので対策が必要です。私は淡路島の出身で、エーワンを設立した直後に阪神淡路大震災があったので、そのことは特に真剣に考えています。

プロフィール

近藤 久壽

近藤 久壽有限会社エーワン 元代表取締役

1936年兵庫県生まれ。流通金物卸商社を経て有限会社エーワンを設立。安全性、作業性、デザイン性を考慮したピクチャーレールを世に送り出し、美術館での絵画の展示方法に革命を起こす。