荒川 秀夫

荒川技研工業株式会社 取締役会長

荒川 秀夫 荒川技研工業株式会社 取締役会長

アラカワのはじまり

大学卒業後、日立製作所に就職して、化工機械の設計や海外でのプラントの立ち上げなどの仕事を5年間続けました。やがて雇われて仕事することに疑問を抱き、日立製作所を退職。それまで培った知識をさらに追求するため、大学院に入って化学工学を研究し、工学博士の学位を得て1971年に修了しました。

その後は日本コカ・コーラや三菱総研などにコンサルタントとして携わりながら、自らものづくりを興したい、世の中にないものをつくりたいという思いが強まっていきます。荒川技研工業を立ち上げたのは1973年のことです。

しかし創業当時は特に取り組むべきことがありません。大学院時代の教授に依頼されて、千葉のある中小企業の指導をすることになりました。高精度線材加工機の設計や試作を行ったもののまったく売れず途方に暮れていた時、張線(線材を弛みなく張ること)をするための器具に興味をもち、その問題点を解決しようと、それまでにない張線工具の開発をしようと思い立ちました。

ワイヤーの着脱がワンタッチででき、予備切断せずに帳線が可能で、軽量かつ手軽に使えること。そんな特徴をもつ「ハンドプラー(HP-1)」は、荒川技研工業が最初に製品化したもので、現在も販売しつづけています。関電工への納品はじめ実績を上げましたが、当初は使い道が限られ価格も高かったので、さらなる用途の可能性を探っていきました。

1980年、店舗用品の展示会「ジャパンショップ」にHP-1を改良し小型化したワイヤーグリッパーを出品。するといくつか引き合いがありました。それを機に多様なディスプレイや美術館での展示など、張線工具はさまざまな用途へと広まっていったのです。

プロフィール

荒川 秀夫

荒川 秀夫荒川技研工業株式会社 取締役会長

1936年東京都生まれ、早稲田大学大学院にて博士課程終了後、1973年荒川技研工業を創業。1975年にワイヤーグリッパーを世界で初めて開発し、このワイヤー吊り金具「アラカワグリップ」とカーテンレールから派生したピクチャーレールの普及に大きく寄与。