the GRIP  01  /  Takashi Nagatani, Kyoji Nagatani

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ワイヤー・アンド・グリップ開発の頃

長谷高史 / 長谷京治

ワイヤー・アンド・グリップ開発の頃 – 長谷 高史 / 長谷 京治
インタビューの途中で、長谷高史氏がワイヤー・アンド・グリップ「フィラティシグマミニ AFS-11(角型)」について、実際に手に取りながら説明をしてくれた(撮影/小山志麻)

ワイヤー・アンド・グリップ開発の頃

長谷高史氏は、日本のインダストリアルデザイン界の重鎮のひとり。日本デザイン学会(JSSD)の名誉会員、日本インダストリアルデザイン協会(JIDA)の永年会員にして監事などを務め、現在は長谷高史デザイン事務所の代表および愛知県立芸術大学の名誉教授として活動する。高史氏が手掛けた数々のデザインの中で身近なものと言えば、緑のラインでおなじみの都バスやJR山手線の各駅にある24時間時計などが挙げられるだろう。また、群馬・八ツ場ダム湖の長野原メガネ橋や福島・さくら湖の春田大橋など、家具やプロダクトから街づくりまで、幅広い仕事を手掛けている。学生時代からプロとして活躍する高史氏は、ARAKAWA GRIPの開発にも深くかかわったという。

ワイヤー・アンド・グリップ開発の頃 – 長谷 高史 / 長谷 京治
「フィラティシグマミニ AFS-11(角型)」の前身にあたる「フィラティシグマ」は、1981年の家具総合見本市『JAPAN SHOP』で発表され、技術開発賞を受賞した(提供/荒川技研工業)
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「シーリングメイトシリーズ AF-3」は、「フィラティシグマミニ AFS-11(角型)」と共に1984年度のグッドデザイン賞を受賞。1997年度には、ロングライフデザイン賞にも輝いている。現在も商品ラインナップに並び、多くの人々に愛されている(提供/荒川技研工業)

より高い汎用性を求め開発したワイヤー・アンド・グリップ

の後一年、普及について難しい時期が続く。状況の改善を模索する中で、今も同社の代表的なプロダクトであるワイヤー・アンド・グリップが誕生した。
開発にあたって、高史氏は世界中のワイヤーを固定する製品をリサーチ。インターネットのない時代だが、海外のデザイン誌は豊富にあった。学生時代から毎月、イタリアの『ドムス』やイギリスの『デザイン』、ドイツの『フォルム』、アメリカの『ID』などを購読しており、自宅に貯めていた相当な数のバックナンバーを読み返したという。その中で、ワイナリーで使われているグリップが目に留まった。
「新製品を紹介するようなページで見つけた、葡萄のつるを支える鉄線を張るためのグリップだった。ただそれは、一度差し込んでしまうと抜けないタイプで、私たちが考えたワイヤー・アンド・グリップは、自由に動かすことができる。より汎用性が高く、コストも安くすれば、世界初の機能を持った素晴らしい製品として多様な展開ができるだろうと感じた」(高史氏)例えば、室内で何かを吊ろうとする際、従来は釘やヒートンを打って止めており、止め位置を微調整するには不便だった。ワイヤー・アンド・グリップなら、微調整はもちろん、そもそも意図した場所に一発で固定できるところがポイントだと言う。その製品の形は、選択肢がいろいろある中で、どのように決まっていったのだろうか。「完成形に至るまで、30案はスケッチを描いたと思う。みんなが興味を持って手に取ってもらえるデザインをということで、荒川さんと一緒に選定し、6タイプほど試作。最終的に二つのタイプに落ち着いた」(高史氏)
これまでの製品を振り返ると、角張ったタイプなどは可愛いらしく、レトロで面白さを感じさせる。ただ、高史氏の話を踏まえると、使い勝手を考えた丸みのある最新版が最終形にふさわしいことがわかる。また当初、ディスプレイのためにカラーバリエーションを提案。ピンクを含めた5色の選択肢を考察したものの、見送ったと言う。
「どうしても、カラー化はコストが掛かる。僕らデザイナーの仕事というのは、ほとんどが裏方であって、そのスタンスで考えるとできるだけ使い勝手が良いものを目指したい。コストに関しても、1円でも安くつくりたいという思いがあった」(高史氏)単純に見える原理こそ、固定観念で縛られた頭からは生まれにくい。シンプルな最終形は当たり前なものに見えるが、デザイナーはそこに至るまでに苦心を重ねている。「ワイナリーのワイヤーからピンときた」というエピソードは、デザインの黄金律を思わせる。「見慣れたものを見慣れぬものに、見慣れぬものを見慣れたものに」である。

ワイヤー・アンド・グリップ開発の頃 – 長谷 高史 / 長谷 京治
2019年にイタリア・ミラノのギャラリー「ON HOUSE ART」で長谷京治氏の個展が開催された。ワイヤー・アンド・グリップにより、彫刻作品を重力から解放し、観覧者が好きな場所に設置することを可能にしている(撮影/長谷京治)

彫刻家の長谷京治氏は、東京藝術大学の大学院を経て、イタリア政府の給費留学生として国立美術ブレラアカデミーでエンリコ・マンフリーニ、アリク・キャヴァリエに師事。2023年から日本に拠点を移しているが、これまでミラノで長く活動してきた。作品は、イタリア・カプリアーノの邸宅「ヴィラ・ウォルター・フォンタナ」や、長野・八ヶ岳の「美ヶ原高原美術館」、「丸の内ストリートギャラリー」、「八王子市民会館」などで見ることができる。2001年には、バチカン市国のための宝物箱を制作している。京治氏は過去の作品の中で、荒川技研工業のワイヤー・アンド・グリップを用いており、2022年に「TIERS GALLERY」で開催された個展においても、そうした浮遊感のある作品を発表していた。

ワイヤー・アンド・グリップ開発の頃 – 長谷 高史 / 長谷 京治
2022年、TIERS GALLERYで開催された「“Seeds of Time” 長谷京治 彫刻展」。ミラノの「Almach Art Gallery」でも同時開催された(撮影/長谷京治)

ワイヤーが発想を自由にする

京治氏は、実兄である高史氏がワイヤー・アンド・グリップの開発やデザインに関わっていたことを知っていたが、当初は自身の作品で使ってみようという考えがなかったと言う。ただ、試行錯誤する中で採用に至り、作品を表現する上で恩恵があったと考えている。
「彫刻と言うと、どうしてもまず台座があり、その上に載っているというイメージがある。そのような固定概念から自由になる発想を求めていた」(京治氏)
具体的には、位置を自在に変えられるというグリップの長所に着目。人間の感性の中には、物を自分の好きな位置に設定したいという意思があると考えた。
「形を追い求める発想や感情表現の自由さを考えた時、ワイヤーで吊るということが自分の中のアイデアとして次第に固まっていった」(京治氏)
当時は卵型の作品を多く制作しており、それらは山から崩れ落ちた岩が風や水流の影響で削られて角が取れた形として捉えていた。その形そのものを、ワイヤーで吊ることを意図したのだった。ワイヤー・アンド・グリップは、特にアートに使用されることを想定してつくられた製品ではないので、作品の中に組み込もうすると、メカニカルな印象が目立ってしまう。そのため、あえて機能性を美しく見せてしまおうという発想が浮かんだ。展覧会で作品を手に取ってもらうことで、良い感触を得たことも後押しになった。
「ワイヤーを使い続けている中で、大きさや形において加工が必要であると気づいて、荒川さんにサンプルをつくってもらったりもした」(京治氏)
また、理解あるイタリアの職人の協力を得てオリジナルのアタッチメントをつくってもらい、ワイヤーをうまく組み込むことができた。作品を具現化する中で、解決すべき新たな課題が生まれた。当初は白磁を吊っており、重さは1 ㎏に満たなかったが、ブロンズとなるとかなり重くなる。ちなみに、最近制作したブロンズ製の作品は、ワンセットで約15 ㎏を超えたと言う。
「荒川さんからは、一つのグリップで10~15 ㎏は耐えられると聞いており、問題はないと考えている。ただ、イタリアの古い建2022年、TIERS GALLERYで開催された「“Seeds of Time” 長谷京治 彫刻展」。ミラノの「Almach Art Gallery」でも同時開催された(撮影/長谷京治)物の天井から作品を吊るような場合、耐荷重が課題になることもある。作品全体の安全管理には、常に細心の注意を払っている」(京治氏)
その創作にあたっては、高史氏から製品のデザインに携わった見地を通して提言をもらったと言う。

長谷高史

長谷高史

長谷高史デザイン事務所

1947年、東京都生まれ。1972年、東京藝術大学美術学部工芸科IDを卒業。1974年、同大学院美術研究科IDの芸術修士を修了。1976年、東京藝術大学の助手となり、1993年まで非常勤講師を務める。1980年、長谷高史デザイン事務所を設立。工業デザインや環境デザイン、公共デザイン、デザイン教育など、さまざまな分野のデザインを展開。人、モノ、バ、トキ、コトの美しく心地良い関係づくりを目指している。現在は、愛知県立芸術大学名誉教授、日本デザイン学会名誉会員、日本インダストリアルデザイン協会特別会員・監事、日本デザインコンサルタント協会理事など。(撮影/小山志麻)

長谷京治

長谷京治

1950年、画家・美術家で美術教育家の長谷喜久一の次男として東京に生まれる。東京造形大学彫刻科を卒業後、東京藝術大学大学院美術研究科鋳金専攻を修了。1977年、同大学美術学部研究生を終了。1978年、渡伊。1984年、イタリア給費留学生として、イタリア国立美術ブレラアカデミー彫刻科を卒業。エンリコ・マンフリーニ教授およびアリックカ・ヴァリエーレ教授に師事。装飾美術科を専攻し、シエナ、ベニス、トリノ、ローマ 、シラクーザなど、イタリア各地で作品を発表する。スロベニア招待個展、サボーナ国際陶器彫刻部門、フジサンケイ彫刻の森ビエンナーレ現代彫刻展、ブガッティ賞彫刻部門、スルモーナ国際美術展、インドロモンタネッリ文化芸術協会彫刻部門など多数の招待展覧会や受賞を受ける。2000年には、バチカン法王庁より大聖年のための宝飾箱を依頼され、ローマのサン・ジョバンニ・ラテラノ大聖堂に奉納。
ピオルテッロ市のチビリーノ広場、キエーザ・イン・バルマレンコ市の展望台広場、パラッツォ・ビアガッバ中庭、セリアーテ建築土木職業訓練高校の中庭などで、作品を手掛ける。日本では、箱根彫刻の森美術館、美ヶ原高原美術館、八王子文化会館ホール、吉川美南駅前公園のモニュメントなど。現在は、主にイタリアと日本で作品を発表する。(撮影/小山志麻)

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